CONCEPT

キャリア教育支援協議会とは

- 高企連携 -

高校×企業の橋渡しを担う

キャリア教育支援協議会 会長 新井立夫

不本意就職が通用するほど社会は甘くない。人間は絶えず学び続けなければならない

高校卒業後、「就職」を選択する生徒のみなさんが例年17%前後います。平成29年度の場合には人数にして18万4,094人の若者が就職を果たしています。この数字が高いのか低いのかは意見が分かれるところですが、むしろ私は「本当に働きたくて就職を選んでいるのか否か」ということについて、もう少し考えるべきではないのかと常に思っています。

どういうことなのかというと、学校現場には、「不本意入学」という言葉があります。そう、第一志望校の入学試験に合格できずに、セーフティネットとして考えていた第二志望以下の学校に入学することを意味します。それと全く同じ構造を持つ「不本意就職」が現に存在するというのが私の持論です。

残念なのは、社会人として働きたくはない上に、進学して学ぶのはもっと嫌で、仕方なく企業へと入社するという「不本意就職」を選ぶ若者が少なからずいるという現実があることです。しかし、そのような考え方や態度が通用するほど社会は甘いものではありません。実際は企業などで働いていても、雇用環境や業界の情勢など、社会の変化に合わせて学び続けなければならないことには変わりはないのです。

仕事に就けば、「基礎的・基本的な知識」や「体系的な学び」が必要だとすぐに気がつくはずです。こうした〝気づき〞は仕事に真剣になればなるほどまとわりついてくるでしょう。そうであれば、仕事に対してどのように向き合うのか。根底にあるのは、その先の長い将来をどのように生きて行くのかということです。キャリアパスやキャリアデザインと言い換えてもいい。生き方や人生観をどのようにとらえているのか。その意味では自分の考えを改めて整理したり、あるいは自分のキャリアデザインを支える勤労観を醸成する手段として、例えば大学や専門学校など、教育の場に戻るという再進学像を描いたりするのも、〝どのように生きて行くのか〞という視点に立てば有効でしょう。まだ20年にも満たない限られた人生の中で培ったごく一面的な判断軸や印象論にこだわるのではなく、弾力的な変化に対応できる価値観や姿勢を学ぶべきだと思います。

響きにくい「キャリア教育」という言葉。学校教育の中に「職育学」を取り入れたい

「キャリア教育」という言葉をしばしば耳にしますが、必ずしも高校生には分かりやすいとは限らないようです。そのため、私はここでは「職育」と表現したいと思います。職業・勤労に向けの技わざ・術すべ・巧たくみを体系的に身につけることができる「職育」という学びがあれば、進路選択を考える助けになるのではないでしょうか。

特に、企業や行政機関などには業種や職種などによって多様な役割分担やさまざまな分野があることを理解しておく必要があります。高校を卒業するまでに過ごした学校生活や教科の学びが、仕事や社会生活とどのようにつながっているか、どのような相関関係で結ばれているのかを知らなければ、卒業後の進路として、納得のいく、自己肯定感の高い進学や就学、就職へとつなげるのはなかなか難しいかもしれません。そうしたことを学ぶ「職育」という概念を持ち込みたいと思います。

実際生活の中に溶け込む学校での学び。自分がどう生きて行きたいのかを考える

高校生に限らず、私たち大人でも答えに窮することが社会にはあふれかえっています。例えば、用紙のサイズがなぜA 判やB判などと決められているのか、しばしば耳にする「黄金比」も同様です。古来より人が最も美しく感じると言われるその比率が用いられているのが「パルテノン神殿」や「ミロのヴィーナス」です。そうです、算数や数学など、学校での学びが、生活と密接に結びついている具体例です。

こうした事例は枚挙にいとまがありません。ペーパーテストや模擬試験では認知能力しか測ることができないため、学ぶ意義やおもしろさが高校生に伝わりにくいのかもしれません。目標達成に向けて努力する力、人と関わって協力する力、感情をコントロールする力などの非認知能力を高め、社会と物事のつながりを深く理解できれば、将来「どういうことをしたい」「どのように世のために尽くしたい」といった自分なりの選択肢が確実に広がります。それを見い出すためにも、物事の仕組みや制度を考えさせる取り組みやアクティビティの勉強があるとベターでしょう。

社会的評価が高い大学を卒業しているとか入学偏差値が高い学校にパスしているなどといった、一面的な学歴偏重社会から、多様な価値観が共存する社会へと、人々の意識や世の中の仕組み、考え方が大きく変容しつつあるのが、現代のボーダーレス社会です。こうした新しい社会の到来を目前にして、高校生のみなさんには、学校教育はもちろん、一生涯常に学び続ける覚悟を持ってもらいたいと思います。自分はどう生きて行くのか―。それがいま問われています。